「教育問題」「美術教科指導」等駄文であれこれ感じたことを綴ってます。


by hakusuke
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事件は私の目の前で起きた

事件は私の目の前で起きた_a0074653_9115575.jpg 学生会議の話題提供として話をしてくれた油絵科4年の大岩由佳さん。私は彼女の言い分がとてもよく理解できる。


 油絵科4年の大岩由佳さんは,『ここから考える美術教育』といった記事,ムサビルDVDでも大きな黒板消しを背負って映っている方である。大きな黒板消しと記すとわけがわからないが,彼女にとってはコンセプトの強い作品だったのだ。

 しかし,見出しに記した『事件は私の目の前で起きた』のだ。冊子の内容から要約抜粋すると・・・。
 ムサビるで出向いたある中学校の鑑賞中のことだった。彼女が「(自分の)作品にさわっていいよ」と伝えたところ,自分の作品である黒板消しを蹴る行為を目の当たりにする。目の前で自分の作品を蹴られたので,必死に「何をやっているの!」と柔らかく叱った。しかし,生徒たちはニヤニヤ笑いエスカレートして蹴りを入れる始末。制作の思いとして「やめなさい!これは私の作品で子供みたいなんだよ!」と伝えたら,生徒たちから返された言葉は「え―この人,自分の作品が子どもだと思っているの~?」と言われたそう。

 ここで,彼女なりの自分の体験談,美術教育の可能性が記されている。(H22,9,27一通り原文紹介します。大岩さんに同意得たので!)

 『作品を蹴られた事件』を通じて
ここから考える美術教育の可能性

 今回非常に深く考えさせられたのは,「子どもたちはどのように感じているのだろう」ということだ。自分の言葉がちっとも響かなかったとうえ,ましてや鑑賞授業でなぜこの作品を作ったのかという話をしたばかりなのに,そのような行動をしてしまう状況が信じられず,またきちんと叱ることができなかった自分にも腹が立った。
 わたしは作品に真摯に向き合う友人たちのことを思い出した。私は美大に入って他人の作品を傷つけたり,ひどい扱いをしたりする人を見たことが無い。それはみな,自分がここに表現したかったものに『愛』をもっていて,だから他人の作品がいかに『尊いもの』かも知っているから。だから友人の作品を誤ってでも傷つけてしまうことがあったら,謝っても元元に戻らない事実に自分自身も酷く落ち込む。
 きっと今回接した子供たち(もしかしたら子どもたち全般に言えるかもしれない)に足りない部分はそこなのだろう。その部分が最も重要なことなのだ。自分の作品自分の表現,自分の思い,作品を作るまでの時間や苦労や楽しさ。もちろんううお金だってかかる。そんなものが自然にわかるようになること。それがわかってくると『作品を大切にすることの意味』を身をもってかんじられるようになるのではないか。
 しかしながら,中学生くらいの彼らにとって,そういう心の柔らかい部分に触れることは恐らく「かっこわりぃ」という認識なのかもしれない。
 「それって本当はものすごくカッコいいんだぜ」ということを伝えられるような人になりたいなぁと心の底から思う。きっと美術の授業でそんな体験をたくさんさせてあげられたら,「そうなんだ!すごい!」って思わせることができたら,子どもたちは変わる。きっと勝手に変わる。私は諦めたくない。



以下,私自身の考えです。



学生会議では質疑応答時間の関係上発表はしませんでした。

 私も,自分の作品が形になるまでに,構想にはじまり,制作中の労力,時間,制作資金等のその他もろもろの投資等を考えたならば,自分の作品を足蹴にされたならば,腹が立ってしょうがない。ましてや自分の目の前で起きたならば・・・。これらの内容と同様のことをについて,大岩さんも記していますね(^^)
 また,自分自身の学生時代に作品といったものに魂とまではいかぬとも,何らかの思いを込めて制作していたことや,やはり周囲も同様の立場の人たちだったので同じことを考えていたことだろう。

 
 そして今,中学校という現場で生徒と関わっていて感じること。何処の学校とも記しませんが,講師時代も含めると様々なタイプの児童・生徒たちに出会いました。そして,このような生徒たちはいないわけでもない。大岩さんが目の当たりにして,何故?と感じてしまうような行為をする生徒。自分の作品以外のものに手を加えたりする生徒。
 このような行為をする生徒の半数が,自分の表現に満足しきった経験が不足しているよう見受けられる。決して美術の授業に限ったことではなく,他の教科にもいえる。学習とは別に部活動でも,学校行事でもよいだろう。どことなく中途半端。自分に満足できていない生徒。

 美術の授業に焦点をあててみる。

 美術の作品づくり。一度でもいい。「できた!」といった達成感を得たことがあるならば,このような行為はしないだろう。生徒自身自分の気持ちを作品に込めるわけで,やはり時間をかけて仕上がった作品には愛着をもつことができる。生徒の中には,美術の授業って面倒だ。受験にも必要ないだろう?と感じて授業を受けている生徒もいることだろう。しかし,労力を掛けてできた作品を作ったことがあるならば,作品を無下にすることはないように感じる。

 作品を足蹴にしたり,このような行為をする生徒たちを減らすためにも,私は授業を通して達成感を体感させられるような活動を大事にしたいし,生徒同士の日々の活動でも,作品を大事にすることに気付かせられるような指導を大切にしたいと考えている。

 なんか教員採用試験の小論文みたい(==)


 また,この記事を読んで生徒の立場,制作者の立場等感じたことがありましたら,コメントにご記入していただけると,学生会議に参加×だったかたも大岩さんとつながるのでは?コメント大募集!




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by hakusuke | 2010-09-26 23:35 | ネット話題から