時代を伝える・考える
2007年 08月 17日
建物は中世の教会を思わせる・・・と記されていたのですが,シャトルバスを降り,丘の上を上り目の前に見える建物からはあまりそのようには感じ取れませんでした。この『無言館』から歩いて10分程の地にある,信濃デッサン館テラスから,眺めると教会のようには見えるような気がしました。ただし,展示状況から十字架のような建物であることは理解できました。
この無言館に展示されている作品は,一流の美術教育を受けた若き青年たちの作品が陳列されています。
遺族が提供してくれた家族に当てた手紙であったり,大学の入学通知や主席で東京芸術大学を卒業した卒業証書等,静かな場所に展示されていました。
戦争がなかったならば,戦争に出向くことがなければ,今の時代に作家として名を連ねていた方たちだったのかもしれません。
戦争の経験がない私たちは,戦争と経験をしてきた方たちの作品に触れること,観ること,
聞くことで,戦争に対しての自分自信の捉え方をしっかりもつべきなのだと感じます。
生徒たちは,戦争にかかわる作品を好むとは思えません。しかし,制作された時代背景や,作者の心情に思いを寄せながら作品を読み取らせることは大切だと常日頃感じています。今の時代を生きる者として考えてほしいことはあります。論点ままなりませんが,学期はじまったならば,生徒ちゃんたちに何かしらこの『無言館』についてはアピールしたいと思います。
この『無言館』にこれから出向く方たちに考えてほしいこと。
私は知人よりはやく鑑賞してしまったので,外にテラスがあり休んでいました。『無言館』から出てくるやいなや,数名のグループは「支払った?」「お父さんの分は,支払ってきたから!」とちょっと事務的というか義務的というか,どうもこの会話はいただけないなぁ・・・と感じました。この制度知らないならまだしもの,「ただで作品みてきた~!ラッキー!」の感覚はどうかと思います。
この美術館は拝観料を徴収しません。任意で出口で,500円~1000円前後支払っていきます。係の方がおりましたが,「支払って頂戴よ!」といった雰囲気ではありません。戦争でなくなっていった方々に敬意を払い鑑賞してほしいし,自分の気持ち程度を真摯な態度でみてほしいなぁ・・・と感じます。美術作品を見る者・見せてもらう者としてのマナーだと思うのです。
さて,この日の上田39度でした。知人がバテました。私だけハッスルしていたわけで,ちょっと知人には休んでいてもらい(薄情な・・・),『信濃デッサン館』(右写真)を堪能しました。
松本峻介や関根諸正二といった夭折した作家のデッサンが整然と展示されていました。上田を一望しつつ,関根正二好みの我が高校時の恩師(昨年勤務校の上司)に,彼のデッサンポストカードに一筆記し,投函した私でした。はっはっはは・・・
☆小旅行届けを出して
☆無言館に寄せて