「教育問題」「美術教科指導」等駄文であれこれ感じたことを綴ってます。


by hakusuke
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文科相に届いた手紙から

 本日の朝,ラジオからは,高2の女子からいじめを訴える手紙が届いたと伝えられていた。出勤したら,職員室の机上には,その内容と文書コピーが置かれていた。
 夕方ネットニュース見たら,またも文科相に届く!といった内容が記されていた。 
文科相に届いた手紙から_a0074653_21424480.jpg

 打ち合わせで目を通していた,高2女子の文書。パソコン文字にすると,生徒ちゃん達と話をした雰囲気がつかみにくいので画像で確認。朝読書時間中も,この文書から何を生徒ちゃん達に話そうか・・・?と考えていた。5分間といった時間では,まとまりませんでした。授業の入っていた,3年生と制作しながら,ここ数日の事件について「(同じ高校生として)あなた達はどう考える?」と,あれこれ話をしてみた。

 履修している生徒も少ないのだが,「こういった手紙を書く前に,誰か(相談相手)いなかったのかなぁ?」と,話していた生徒が多かった。この手紙にも記されているが,「親に相談したくはないけど,やっぱりなぁ・・・相談するかなぁ?」と曖昧な返答もあった。男子生徒は,「(最近の事件を)真似しているだけのような・・・(気もする)」とも話をしていた。夕方,ネットニュースみていたら,石原都知事も同じようなこと話しておりましたね。

以下,私が勝手に感じたこと。生徒ちゃん達の話に似たり寄ったり・・・。

>先生には言えないし。
本当にこの生徒の周りには,話ができる教師がいなかったのだろうか。高校生であれば,担任教師以外に教科指導,部活動指導者など,誰かに相談できなかったのだろうか。出身中学校の先生もいなかったのだろうか。

>親にもメーワクかけられなんないよ。
いじめを受けている生徒と話を聞くと,多いのがやはり「親に心配はかけたくない・・・。自分でなんとかするからいい。」と話してくる。あえて保護者に向けて記そう。自分の子どもの異変に気がつかないのだろうか。共働きで我が子と向き合う時間が少ないこと,年齢的に余り話をしたがらないかもしれない。どのように付き合ったらよいのか分からない保護者の方もいるだろう。
 しかし,近頃はきがない,食欲がない,何かに警戒しているような?あれ?っと感じてしまう何か兆候はあるはずだ。それを見て見ぬふりをしていないだろうか?気がつかないのは,やはり手をかけていないことだと思う。子どもにとって「家庭」「両親」が,学校よりも安住の地だと,私は感じるのだが・・・。

>殺してやる。みんなひどいよ。
 この生徒は本当に仲間がいなかったのだろうか?同じ高校の友だちでなくてもよいだろう。心底,人を憎む前に誰にでもよいから話をすることができなかったのだろうか。話すことができぬ状況が続いてきたのだろうか。それが現実ならば,本当に,かわいそうな生き方をしている高校2年生だと私は感じてしまう。被害者ではあるのだろうけれど,私には全員がこの生徒を嫌っているとも感じ取れない。気にかける誰かがいるはずだと思う。誰でもいいから,声を出すこと・気持ちを伝えることは大事だ。恥ずかしいことでも,悔しいことでもない。

>こんな学校なんとかしてください。
 この生徒の通っていた,学校職員は気がつかなかったのか?そんなはずはないだろう。高校であれば教科担任制だ。学級担任が気がつかなくても,教科指導担当も生徒の様子を見ていて異変はあるはずだ。出席していなければ何故出席していないのか?と感じないのだろうか?生徒の異変に,何も感じない・意識できないのならば,それこそ職務怠慢だろう。
 美術を指導している私ですら,机間指導中や生徒作品を見ていて,「何か最近あったか?」ぐらいは気がつくことが多い。「なんかこの生徒ちゃん,イライラしているなぁ・・・」「随分作業がゆっくりだなぁ」などなど。その際,学級担任や養護教諭に聞いて,ある程度は生徒を把握できるように意識している。

 本日,文科相に届いた複数の文書。「誰が送信したか?」「どこから投函されたか?」を詮索することで,未然に事件を防ぐことは大事なことだ。しかし,一番の課題は,大人が子どもに寄り添う時間の確保も大事なことだと強く感じた。学力向上に向けて,教科指導に力を入れるのも大切だろうが,児童・生徒には周囲との関わる時間の共有であったり,自分の気持ちを伝えられる・伝えあう仲間づくりを行う学習の場の設定工夫ではないだろうか。
 文科相に届けられたメッセージは,今の日本の社会や学校に向けられた課題として,真摯に受け止めねばいけない。大人社会への意識改革であったり,ゆとり教育の誤算であったり・・・。責任の所在を曖昧にしている,社会・大人達もこの事件に大きくかかわりがあるだろう。その場,その場で謝罪して終わりは,事件解決には繋がらない。
 最後に,これらの声明文を出した児童・生徒達へ。これらの文書記そうと感じている段階でもがき苦しみに苦しんで記したことだろう。私は,「死」といった逃げ道ではなく,誰かに寄り添う(寄り添ってみる)といったことを考えてほしい。決してそれらは甘ったれれていることでもなかろう。
by hakusuke | 2006-11-10 23:55 | 時事問題 教育問題