「教育問題」「美術教科指導」等駄文であれこれ感じたことを綴ってます。


by hakusuke
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2011年 03月 20日 ( 1 )

 以下は私自信が感じていることであり,市内に住んでいる方(旧町の方)たちがどのように捉えるかはわかりません。あくまで私見です。

 3日連休1日目=3月19日(土)
 昨日はわりと温かな日でした。朝・夕は冷えるため,私は湯たんぽ抱えたり,厚着で寒さ対策をして過ごしています。節灯油のためです。

 上空を見れば,ヘリコプターが沿岸に向かい飛んでいきます。洗濯した服は,外に干したら乾きました。ただし,地域で発信されているコミュニティラジオに耳を傾けていると,浄水場の処理設備は,全て回復しているとはいえないため,控えてほしいことを伝えられていました。2着だけ洗い干しました。地震後,ほぼ1週間同じフリースと運動着だったこともあり,1回目のすすぎ湯は汚かった。もちろん節水の情報も伝えられているため,風呂場で漬け置おきの手洗いです。

 私の住んでいる周辺は,大方ライフラインは復旧しました。同僚の話から,市内でもライフライン全て復旧していない方もいるので,一概に喜ぶことは控えます。

 市内は自転車で移動する方たちも随分目にします。ガソリンスタンドは,何台並んでいるのだろうと驚くばかりの長蛇の列です。携行缶をもってガソリンを求め歩いている方も随分見かけました。

 大型スーパーは,やはり店頭に必要最小限のものを並べ,列をつくり買い物です。時間も限られているようで,段ボールを持った店員は「今日は終わりました!」と道路でもうろうろしています。救援物資として希望しているおむつだったり,粉ミルク等を求める母親たちを見ると痛々しく感じてやみません。
 しかし,町の小さな店は,開店・閉店時間こそ違うものの,少しずつ店を開け棚に並んでいた商品を販売しはじめていました。また,飲食店も同様に開店しはじめたので,ガスや水が復旧していることに喜びを覚えました。

 近所は,建築業の方々が熱心に倒壊した壁の修理や解体など粉塵にまみれながら動いていました。凸凹していた道路,冠水していたも箇所も埋めてあり,少し凸凹していた道路が良くなりました。ただし全ての家屋が解体されているわけではなく,道路にはまだまだ多くの危険!通行不可!!といった黄色のロープは至る所で目にします。最寄りの自転車店では,若い方たちも出入りして値段を見ていたり,ヘルメット買いに来たりしていました。当然修理で休む間もなく,働いていた店員さん。自分で自転車を修理しようと思ったので,聞きにいったら,道具と直し方を丁寧に教えてくれました。ありがとう!

 家の前で,自転車にオイル差しをしていたところ,私の知っている方が,我が住まいの下に引っ越してくることが分かりました。家屋が危険札付いたためです。市内の家屋は,赤・黄・緑の紙が家屋壁面に貼られ,家屋の安全確認が震災後早急に行われていました。お隣さんは引っ越しをするようですが,「宅配業者がつかまらないことらしい・・・」と家屋を点検に来た不動産屋さんから教えられました。

 午後,巡視に出向きつつ,役場付近,避難所等ぐるりと回りました。出向く前に知っている方にも会い「大丈夫だったか?家族は(大丈夫か?)」等ちらりとお話もできました。また,生徒たちにも数名会い「先生,かっけー」と言われました。たぶん大きな部活指導中に使用している日よけ防止サングラスをかけて自転車で移動していたからだと思います。

 避難所で生活していた方も随分減っていることがわかりました。また,地震直後自家発電装置で動いていた信号機からは自家発電装置も取り除かれ,夜は街頭が灯るようになりました。

 避難所で生活している方も大変のこととお察しします。同時にライフライン復旧に向けて,約1週間で,改善に向けて動いてくれた方々にも本当に感謝しています。

 最後に,県内でもまだまだライフライン復旧のめどがたっていない地域,避難所生活を余儀なくされている方もいるので,「パソコンに向かっていていいのか?」と考え悩む自分もいます。日頃写真を撮る癖はあるのですが,撮影したら申し訳なく感じて全くもって地震後写真は撮っていません。撮ってはいけない気がします。
 正直,ブログに向かいエントリーすることも躊躇します。あえて,今後の地域住民の記録として少しずつ近況を報告していきたいと思います。


by hakusuke | 2011-03-20 16:11 | 自分のこと | Comments(7)