「教育問題」「美術教科指導」等駄文であれこれ感じたことを綴ってます。


by hakusuke
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

<   2011年 03月 ( 15 )   > この月の画像一覧

 『今,わたしにできること』ACのCMとして連日放送中。日々自問自答しながら,このコピーに耳を傾ける。

 震災後は,よくわからなかった。明日をどう生きるのか,明日はあるのかといったことを考え過ごしていた。当たり前のように過ごして生活が一変。災害によってライフラインは寸断された。いつ復旧するのかもわからない。そんな1週間だった。昔のことのようですが,まだ1か月も立っていない。仙台空港に飛行機が離着陸できるようになった,JR復旧の様子等を聞いていると本当に多くの人々が,復興に向けて動いていることがわかる。本当,この方たちに拍手を送りたい。

 被災した次の日は快晴で,臨時出勤日になった。何か手助けが必要かも?と7時に出勤してみたものの,これから何をするべきなのかよくわからず職員室で他の職員が来るまで待機した。「よく発行できたなぁ。届いたなぁ」と,ペラペラの新聞に目を通した。防災無線に耳を傾けつつ「これからどうなるのだろう?」といった先が見えない不安の方が強かった。
 
 沿岸部に比べ,私はまだ恵まれている方。家族も無事であり,ライフラインはすでに復旧しています。まだまだ多くの人たちが,物資を求め避難所生活を送り過ごしている。また,原発をはじめとして放射能という先が見えない不安で憤りを隠せず過ごしている方たちも数多くいる。本当,なんて声をかけ励ましてよいのか分かりません。
 
 震災後1週間目あたりに,ライフラインが徐々に復旧しはじめまた。職員の家庭が「電気ついた!」「●地区は明日らしい!」といった話題もちらりほらり。路上に明かりが灯った時,同時に家庭で電気が通ることが確認できた時は嬉しかった。同時に被災している方たちのことを考えぬ行動に恥た自分がいた。1週間のことなのだが,本当にすごい急ピッチで復旧していたことには重ねて感謝である。

 この電気が復旧しはじめた頃から,美術に関わるML発信もちらりほらり。美術による提案がなされ 意見が交わされていた。携帯が繋がるようになり,少し書き込まれている内容を読むようになった。メールで現状報告といった反応を示したけれど,やはり美術で何かをするといった考えは,よく分からなかった。何ができるなんて考えもまとまらなかった。

 美術で行動を起こすというができるか?と自問自答しつつ,できそうもないなといった答えが強まった。なぜなら私は,芸術家ではないのだから。

今,日本の至る所で,被災地に向けて復興支援があちこちでなされている。ネットニュースに目を通していると,義捐金は阪神大震災の3倍のピッチで集まっているということだ。どのように被災地域で活用されるのか分からないけれど,復興に向けて有効な策で活用してほしいと願っている。

 少しずつ県内のニュースを見ていると,その道のプロが被災所を訪れ,励ましてきたといった活動が随分紹介されている。各種大会やコンクールのチャリティによる寄付金の集め。私はこれはこれでよい取り組みだと思う。プロの方の活動を通して,被災地でひさぎこんでいる方々に元気や活気取り戻すことができる事にもつながると感じる。無理をしない範囲で,応援をしてほしい。

 最後に 今,自分にできること。

 私は『美術』といった表現行為で何かを変えることはできない。できそうもない。しかし,元気づけぐらいはできるかもしれない。
 本日出勤したら,教科書搬入日が黒板に記されていた。教科書がないと言っている地域もある中で,教科書が届くことや教材の発注がはじまったことは授業に少し進展がみられたといえる。
 
 新学期はいつから始まるのかまだ分からない。しかし,校内の壁面を生かした新入生や進級した生徒たちをを迎える装飾をつくり活気づけたいと思う。明るく,エネルギーあふれる配色であったり,ほのぼのとなったりできるような壁面装飾ができれば最高だ。今は構想練り,無理をしない範囲で創りたいと思う。
by hakusuke | 2011-03-31 22:29 | 自分のこと | Comments(0)
 震災のことが多く記事になっている中,佐藤忠良さんの訃報を知りました。老衰だったそうです。宮城県にゆかりのある作家の一人であり,私自身彫刻家として好きな作家でもあったので,自分自身を振り返ってみました。

 宮城県美術館には,佐藤忠良記念館がありしー氏の多数の彫刻が常設展示されています。外から(タクシー乗り場付近)から本館に入る手前で『若い女』を見ることができます。受付をすませ,奥の喫茶室(サリックス)の手前では,『大きなカブ』の絵本が,挿絵全てを見ることができるように見開きで展示されています。
 この『大きなカブ』は,児童にお勧めの絵本の1冊です。小学1年生の教科書挿絵に使用されたこともあり,私自身この絵を見て学んだ者の一人です。のちに知ったことですが,「この絵は入学して間もない児童が安心して教科書を広げて学習をできるようにしたい。」といった願いも込められていたとのこと。おじいさん,おばあさんをはじめ動物たちの動きに無駄がなく,しっかりと観察されて描かれています。意識して絵本を見ると本当に,大根やかぶを引っ張る時はこんな腰付きだよなぁと考えさせられます。また,2002年にオープンした県立こども病院のためのレリーフ(レプリカ)もあり,そして氏がデザインされた数種類の大ぶりなブローチも販売もれています。

 美術館の図書室には彫刻に関する書籍も閲覧することができます。教科書も展示されているのですが,中でも衝撃的な教科書は『少年の美術』といったB4判とB6判の教科書です。今は販売元もありません。私は高校生のときに使用していた教科書です。どちらかといえば教科書といった感じではありません。「絵を外で描くことができるように」といった配慮があり表面は画版のように堅いです。作品も見開きであり,無駄な解説はありません。巨匠の言葉だったり,日本の名だたる作家のことばがつづられています。本当素敵な教科書です。

外にあるアリスの庭には,何点だろう?正確な数字は曖昧のため記しません。氏の作品をはじめとした野外彫刻が何点か屋外展示され,交流のあったヘンリームーア,マリノ・マリーニ等の海外の巨匠作品も展示されています。季節を問わず,子どもたちは親子で作品のまわりで楽しく駆け回っている姿を見ることも多いです。その他に仙台市内には野外彫刻も展示されていて,定禅寺通りや台原森林公園の彫刻は有名です。『杜の都仙台』として,CMに起用されていることも多いです。

 昨年は,氏の写真を撮り続けてきたカナダ人写真家のベンジャミン・リーの写真展も開催されていました。制作中の様子を切り取った写真や,制作に使用している道具の写真,彫刻をつくる手などが大きなモノクロプリントとして展示されていて圧倒された。カッコいいのほうがにあっている表現かもしれない。

 私は幼い頃,宮城県そして仙台市に引っ越してきてきた。宮城県美術館に何故出向いたのか記憶はないが,等身大の具象彫刻に圧倒されたことだけは覚えている。その後,美術にかかわるようになり,県美にも出入りする機会も増え,指の細部までれない神経をいれた作品の数々を鑑賞する機会が増えた。またしっかりと観察し,表すことの大切なことにも気付かされる作品も多数あった。何度もかたちを見直ししては修正し妥協を許さない。毎日欠かさずデッサンを絶やすことなく制作を費やしていたことは本当に頭が下がる。また,「彫刻の制作には体力,体調管理が欠かせない。そのため規則正しい生活を心掛けている」等のことにも文化講演会だったはずだが聞いたことがある。

 いずれにせよ,「芸術」と常に対決しかたちをつくっていた佐藤忠良氏。力強い作品を今後も県,そして復興への励みにしたい。
by hakusuke | 2011-03-31 20:43 | 日記 今日という日! | Comments(3)

職員室の配置換え

 一つ前のエントリーには,「HPで紹介されるのみで新聞で発表はなかった!」と記しています。しかし,本日の地方新聞で新聞発表されていました。重ねて,新採用になった皆さま,春から様々な面で大変なことはあるでしょう。これも一つのかてとして共に頑張っていきましょう。せっかくこの大変な時に任用といったことを大事にしていきたいものです。

 さて,昨日は勤務校では引き継ぎ日だった。朝,平成23年度の校内人事を伝えられた。学年の先生と簡単なあいさつをして机やロッカーの荷物整理。ひたすら机の中を片付ける。春から頑張るぞー!
 午後は,転入してくる職員の簡単な顔合わせ程度のあいさつと引き継ぎだった。知っている先生も数名いたので,23年度も心強いスタッフで楽しみです。
 私は,会計の報告をめることができて,ちょっと一息。一つ仕事にめどをつけ,肩の荷が下りた。うーん,疲れたよー。あとは返金だわ。「さぁ皆さまー。キャッシュバックありです。学年でまとまってきてー。」

a0074653_6474482.jpg 一通り引き継ぎを終え,女性の会による分散会が行われた。
 先日の分散昼食会同様,女性だけのほんわかとした雰囲気。皆で記念撮影。そして甘いもの。大粒イチゴ,チョコ,クッキー,ケーキ。「おぉ!すごーい!!豪華ー!!!」で拍手。午前中はお金と数字と格闘していたため,ほとんどお手伝いできず,申し訳ない。いちごは,職員が最寄りの農家から朝摘みしてきたという大ぶりで甘いイチゴで大変美味でした。
 のせられてのせられて女性スタッフだけの写真撮影。退職,転出先生から一言ずつ挨拶をいたただいた。誰もが「大変だった」といった言葉はなく「あって言う間だったなぁ。」といった言葉を随分聞くことができました。簡単な挨拶後,「先生方に!」とサプライズが☆

 退職する先生方から,「どうぞ。どうぞ。」で一人人袋ずつ紙袋を配られた。「なんでしょう?」「えぇ?いいんですか?このご時世に・・・」「まぁ!」


 
 

More
by hakusuke | 2011-03-30 06:09 | 職員室から? | Comments(0)
 先日行った送別昼食会の写真をレイアウトしてプリントアウトしたり,会計報告を作成していたこの休日でした。送別昼食会の写真は結構素敵にできたと思います。自画自賛?
 それにしても,本当に事務処理に疎い私です。本当苦手というか嫌いで嫌いでしょうがないのです。帳簿をつけたりすることが本当に苦手で,できれば遠慮したいぐらいです。
 
 転任する職員も,ちらりほらりと片づけに出勤していました。「これあげるー」「ご自由に!」で古本貰ったり,読ませてもらったりもしました。ゴミが本当すごい!明日は私も掃除しよう。

 今日は「県のHPに宮城県の教職員の人事が一覧で掲載されていますよ。」と同僚が教えてくれました。こちらをご覧ください。知らなかったので,気晴らしを兼ねてHPをのぞいてみました。のぞいてみたものの小・中学校だけでも膨大な資料(PDFで200ページ程)なので,ざっと目を通した程度でした。
 帰宅後少しじっくりと目を通していたら,沿岸地域で仕事をしていた同僚も見つけました。また,講師時代にお世話になった方たちも見つけることができました。眼は疲れました。

 新任のページを見ていたら何名か知っている方の名前見つけることができました!「(高校時代の)同級生かな?」等思い,ちょっと知人の携帯電話に連絡を入れてみた。うーん繋がらない。手元にないのかな??

 別の友人の携帯電話に連絡を入れてみました。昼だというのに,すぐに電話に出てくれた。メールで安否は確認を取れていたけれど,声を聞くことができてわーい。わーい。しばし,お互いの今を語り合った。
 同時に「全然連絡とれない。」「メールもしているんだけどさ。あんまりかけていると悪いだろうし,怖いし。場所が場所だし・・・。」

 そう,安否不明のままの方だと正直怖いです。パーソンファインダー。非常に便利ではあるけれど,震災後全く音沙汰がないとマイナスなことが脳裏をよぎり怖いです。友人が結婚後住んでいる場所を知らされて,ますます不安になりました。無事で着信履歴から何か返答が欲しいです。

 最後に。
 この被害の大きな地で新採用された皆さま。おめでとうございます。赴任される地域によっては,本当に大変な地域も数多くあります。私も授業のめどが見えぬまま,何を準備したら良いのかわかりません。是非,学校,保護者,地域の方々との『きずな』を深め,乗り越えてほしいと思います。
by hakusuke | 2011-03-27 21:30 | ネット話題から | Comments(0)

カレーライス

 3月11日14時46分以降,未だ余震は連日ありおさまる気配をみせない。たまに受信するエリアメール(緊急事態発生を知らせるメール)をキャッチする時もある。恐らくあの地震がなければ震度4であれば少々動じたることもあっただろう。しかし,非常に地震に対して麻痺している自分がいる。

 校内職員の異動について,話を聞いている時も校舎の中で揺れた。周囲の職員もあまり動じる人はいない。「あ!地震だ・・・。」「地震かな?」程度の反応である。良くないこととは分かっていても,やはり地震に対して麻痺しているのだ。
 本日の送別昼食会後,片づけをしていたところ緊急速報=エリアメールを受信した。震度4だったことをあとから知る。この幾度となく続く余震は,安定しない地を踏んでいるといった感じであり,フワフワした地面に足を乗せているといった感覚である。


 本来ならば,職員クラブ一同で送別会を行う計画だった。当然,送別会をやめた。やめる云々の前に,ライフラインが復旧していなかった先週,お店も開店することすら難しい事の想像がついたのでキャンセルをした。
 私は送別会担当の学年であり,「送別会のかわりになることはないだろうか?」と担当学年の一人として考えた。何かできることで転勤される先生方を喜ばせたいと考えていた。学年スタッフであれこれ策を練時,「カレーライスで昼食会をしたら?」とナイスアイデアを提案した職員。素敵なアイデアだったので即採用(^v^)v

 私の担当は,お昼に間に合うように料理する方。肉の調達係だった。少しずつ最寄りの精肉店も販売を始め,美味しいお肉を購入することができた。もちろん,肉の種類や販売時間は限られている。
「少しね!」と,この送別会のことを知った職員から,ジャガイモの差し入れ,玉ねぎの差し入れ等あり,たくさんの野菜を手に入れることができた。
 9時30分から,調理室で仕込みをはじめた。つくる量が,合宿,炊き出しのような量である。米にしても,想像できない量(7カップ×7つの炊飯器)で,ご飯炊きである。大きなボウルに人参,ジャガイモ,玉ねぎ,かぼちゃ等。4名で時間に間に合わせるため,大きく野菜を切って,大きななべでつくる。つくる。つくるー。

 11時ごろ,男性職員が「巡視です!」といいつつのぞいてきた。「待っていてねー(^v^)」
ALTも「何 ?カレー?と,大鍋3つのすごい量に驚いていたALT。「暇なら手伝って!」で,ALTにも,会場のセッティングやお皿運びを手伝ってもらう。

 校内放送で会場に来るよう呼びかけてもらい,ご飯を盛る。恐らく一人当たりお椀2杯分はもったはずだ。「おぉ肉だ!」「うま!」で,食べることができた。お代りもあり,1食分だけのルーを残しごちそうさまをした。
 一通り食べ終えたあたりで,退職・転任する職員から一言ずつあいさつをいただいた。様々な生徒とのかかわり,職員とのかかわり,学校の雰囲気が変わってきた等考えさせられることも多々。そんなこともあり,盛会に『送別食事会』を終えることができた。被災地や,少しずつ町の復興に向けてボランティアの方たちが温かい食事を提供しているといったニュースなどから考えると,とんでもなく贅沢な食事だったなぁと感じた。

a0074653_1584440.jpg
 最後に,校内で記念撮影をした。もちろん,スーツなぞ誰も来ていない。動ける服装であり,エプロン姿で写っていたり。でも職員一同,素晴らしいくらい皆笑顔である。職員分プリントアウトして,同僚に見せたら「いいねー」「とってもいい!」で失笑してしまった。

 退職・転勤する職員の皆さま。それぞれ新しい地で,前に進んでほしいと願っている。別れ,出会いを大切にしたい春。まだちょっと外は肌寒い。早く温かくなるといいなぁ。
by hakusuke | 2011-03-25 22:44 | 職員室から? | Comments(4)

地震後 ~14日~

 東日本大震災から14日が過ぎた。14日前のことなのだが,本当あれこれあり過ぎて,遠い昔のことのように私は感じてやまない。

 震災後1週間目は,市内のパイプラインが復旧のめどもみえなかった。朝は日がともれば書類というか文書の作成,暗くなれば床に入るといった生活だった。外も家の中も真っ暗。同時に拙灯油策(今もだけど)として,いかに限られた暖房の中で寒さをしのぐことができるか考えた。暖房のありがたさを知った週でもあった。また,ガソリンのこともあり限られた職員しか出勤は難しかった。出勤している職員(自称若手)は食料を確保できるか,知恵を出しあい生活をしていた週でもあった。
体育館も被災所であったため,寝泊りしていた職員もいて,疲労を口にすることなく仕事をしていた職員は素晴らしいと感じた。
 震災後2週間目は,市内で少しずつパイプラインの復旧がみえはじめ「水が出るようになった!」「昨日電気がついたよ。」等の会話だった。徐々に市内のパイプラインの復旧にめどがみえてきた。あれだけの地震を受けたというのに,生活ができるように復旧,回復にむけて動く「日本人ってすごいなぁ」と,自国ながら感心した週でもあった。
 生活物資の確保は回復はしてはいるものの物流は途絶えている。しかし,今までの便利で快適な生活を恥じたというか自分なりに見直しをした週でもあった。「保存食作ったのー(^v^)v」で職員室で話をしていたら,失笑された。うーん。私は自転車通勤していたので,ガソリンスタンドには並んでいない。本当車社会になっているのかが垣間みえてやまない週でもあった。同時に遠距離から通勤している方たち,10km~20kmいやもっとあるな・・・自転車をこいで汗をかきながら出勤している職員も多くいた。本当すごい。
 
 前エントリー後,校内では様々な変化があった。

 <小中引き継ぎ会>
 このような事態に,丁寧に資料を持参して来航してくれた小学校の先生方に感謝。「新しい顔ぶれが来るのだなぁ」,「まだまだ先のことだなぁ」とも感じながら引き継ぎをしました。新年度に使うものであったり,校内計画を全て修正が必要となった今,どうするといいのか想像することができていません。新入生は160人前後である。新学期というか4月になれば,授業に対する心構えや自分なりの授業に対する気持はかたまっていくと思う。

 <公立高校合格発表>
 合格発表が各高校で掲示されているだろう時間は,小中引き継ぎ会の会議をしていた。15時40分あたりから,外で「がんばろー」「やったよー」と,卒業していった生徒たち歓声を聞くことができた。合格した生徒たち。おめでとう!同時に入学するにあたり列車,バスで通学する生徒たちはどのように今後通学をしていくのか?学校と公共機関は本当に結びついているなぁと感じた。本当にどのような措置をとるのだろう??

 <修了式>
 非常に簡素化した式であったけれど,式を行えたことは喜ばしいことでもあった。登校指導しつつ,生徒たちがキャーわーと「元気だった?」「久しぶり!」「お!やぁ先生!」等々の会話を聞いて嬉しかった。よくわからないけれど,嬉しかった。生徒たちが元気に登校している姿を見て「生きる」「生きているってこんなことなんだなぁ」としみじみ感じた。同じようなことを生徒指導主事も感じたことを,生徒たちに伝えていた。
 式のはじめに1分間黙祷をした。黙祷の時間,ほんとうあれこれのことが脳裏をかすめ涙が出た。式の最後に校歌を在校生とともに歌った。校歌を耳にして,あらためて「生きているんだなぁ」と考えさせられた。


 <人事発表>
 本来ならば,新聞で発表されるのだが今年度は紙面掲載はない。夕方,「全職員集合」と校内放送が入り,職員室で一同聞いた。予想はしていたけれど,多くの職員が退職・転勤をすることがわかった。校内発表といえど,心構えというか突然の話だったので動揺してしまった。発表を聞いた日の夜,寝つけず何度つぶやいたことか。
 生徒たちは,学校から発信しているメールや電話連絡等から離任式は行わないことは周知していた。修了式を終えて,退職・転勤する職員一同が壇上に上がり紹介されて知った状態だ。前日の私もなのだが,生徒たちも動揺しそしてかなり驚いていた。教室に移動して,また放課後になり涙を流す生徒は多かった。

 あくまで,私の周辺でのできごとであり,まだまだ避難所生活をしている方,パイプラインの復旧にめどが全くもって立たずに生活をしている方たちも数多くいる。島での生活により,空輸で救援物資を届けられている被災者の方,避難所でストレスを抱えて生活をしている方,まだ親戚,知人等の安否も取れぬ方たちも数多くいる。少しでも早く復興に向けってほしいと願う。

 今気になってしょうがないのは,放射線物質による被害。本当に何がどうなんだか先が全く見えない。正しい情報流しているのかもしれないが,数日前に報道されたことが撤回されていることも多く,胡散臭く聞こえてしょうがない。この放射線の被害によって避難している方たちのもどかしいというかストレスは大変であろう。
 また,この被害により農産物,海産物で生計を立てている方たちの話を聞けば聞く程悔しくてしょうがないだろうなぁと感じてしまう。この放射線のことに対して何もできない。考えることはできても,動くことができない。つまり何も行動を起こせない自分がいる。これが悔しい。 
 



by hakusuke | 2011-03-25 19:46 | 自分のこと | Comments(0)
 3月21日 終日曇り
 
 朝刊が震災前と同様5時に届く。活字の情報源として,とても頼もしく感じる。新聞をとっていない,とらない方もいる。確かに購読しない方の意見も一理わからないわけでもない。私は,生活の知恵もちらり紙面に載っていてありがたい。災害時の知恵,参考になる内容,既に実践している内容もある。
 他の新聞はどうなのかわからない。紙面は薄っぺらいので,30分程あれば読み終わる。読者の声。今まであまり目を通さなかったのだが,布団の中でぎりぎりまで出ず目を通している。今まではこんなことしないのですが,寒さしのぎです。だらしない姿。ははは・・・(~v~)
 
 たまたま私も見ていたテレビ番組のことについて投書していた方がいた。

 内容は,関東地区の計画停電について,小学生にインタビューをしての返答内容についてだ。インタビューをした結果,小学生が話題にしたのは「マグロが食べられない(辛い)」といった返答だった。私も正直「はぁ?」と思った。投書した方のタイトルも『マグロが食べられなくてなんだ』といったタイトルだった。被災所ではもっとつらい思いをしている方がいて,テレビも見ている方もいるだろう。配慮して放送すべきだといった内容だった。

 同感だ。民間放送が震災について話題にしている時間は少しずつ減ってきている。様々な立場,状況の中で,切実な思いで情報元に耳を傾けていることだろう。ACの広告もうざったいと苦情が殺到しているようだが,たかが1週間前後のこと。テレビを見なければ,耳を傾けなればいいのであり,広告を自粛しているといった配慮あっての広告だと理解してほしいと感じる。私見です。

 本日はあえて自分仕事オフ日とした。

 さすがに震災後1週間は全く持って本は読んでいなかった。久々に活字に目を通した。読んだのはカウセリングに関する内容の再読。まだすべて読み終わっていないし,「知っている」に値しても,「理解している」には至っていない。知っていることを行動に移せるようにしていきたい。

 さて,オフ日。
 久々に自分を大事にした日でもある。食材の調達♪調理♪地域の地場産品を使っての料理が楽しかった。
 南三陸町の乳牛。牛乳を冷やすことができずに,毎日捨てているとのこと。「牛乳(無料)あげます!」とガソリンを使ってトラックで持ってきてくれた市場に持ってきてくれた方がいた。煮沸すれば飲めるので,ありがたく頂いてきて,チーズとバターをつくった。ははは・・・。
 
 近くのスーパーでは店内に入ることができるようになった店もある。店に入ることができることは,どことなく活気?エネルギーをいただいた気がした。

 以前棚に並んでいた商品は,もちろん限られてはいる。すっからかんとは言わぬものの,棚にびっしり品が並んでいるとはいえない。缶づめはもちろんなかったし,売っていたのはほうじ茶(葉っぱ)だったり,魚の粗などなど。
 魚の粗(出汁用)1パック350円なんてありえない。今までならば50円なのに。以前は1,5L300円前後した水が,100円で販売されていた。水が供給しはじめたからなぁ。さすがに水を買っている方は私の周りにはいなかった。
 都市部でも同様らしいが,購入できるのは物品として買えるのはおひとり様,1個,2個と限定である。ただし,買占めらしいことをしている方はいない。皆ルールは守っていたので安堵。商品の値段はたいして変わらない。魚は別だけど。ただし品数が限られているといった印象だ。
 
 買い物の帰り。庁舎から災害救助隊と張り紙をつけた自衛隊の車15台程,南三陸に向けて移動していった。昨日は,仮施設風呂をつくり,一部の被災者は風呂につかることができたといった内容を報道していた。新聞を見ると,自分でふろを作った方も載っていた。石巻方面では,美容院,理容院で髪洗いサービスをしている店も紹介されていた。
 沿岸部で避難所生活をしている方たちが少しでも落ち着けることを願うのみ。

 最後に・・・
 限られた食材でつくると楽しいと思う。無理に加工品を買うと絶対高くつく。地域食材を上手く活用するとなんだかんだで食にはありつけるような気がする。できれば,家庭菜園つくりたいぐらいだ。幼い子どもが好む味付けとは思わないけれど,おふくろの味?ちょっと時間かけて調理すれば,おいしく食をいただくことができる。
 農村地帯なので,大根やホウレンソウでも少しずつ販売しはじめている。さぁ!今こそ地域食材の活用だ!!


by hakusuke | 2011-03-21 20:26 | Comments(6)
19日とは違い,20日(日)は晴れのち曇り。

 テレビをつけると,民間バラエティ番組も放送しはじめた。元々,私にとってはテレビは情報ツールであり,テレビうつる・うつらんは気にはしていない。辛うじて県内の情報源としてテレビはつけておく。同時に,地域のコミュニティラジオは市内の情報源として耳を傾けている。
 余談ではあるが,パナソニック製のEVORTAは重宝している。震災後,ラジオに入れて使っているが,まだまだバッテリーは残っていて,パケージ通りの長持ち電池である。

 3日の連休中2日間は学校に,数時間ではあったけれど,出向いていた。何か自分手伝えることがあるはずだからだ。案の定あったので,ちょっと程度ではあるが,手伝ってきた。
 
 それにしてもこの3日連休中の2日目あたり。体感するような余震が再び続くようになった。2日目の午後には,エリア緊急メールも受信している。どことなく揺れに麻痺している。文では伝わらないのだけど,あくまで感である。あの地震後の余震と違う感じがしてならなかった。

 2日目の夜につぶやき(ツイッター)では,「なんか今までの余震の感じが違う。」「何かがいつもと違う。」ともつぶやいている。何もなければいいのだが。

 「地震後3日以内に,震度5?6前後の余震がくる」と報道番組では随分騒いでいた。震災後,一時的に帰省した先で,車の中で報道番組を見た。帰省した日は,まだ,全然電気の復旧めどもたっていなかった。母親は耳からだけの情報以外に,ニュースキャスターが伝えてくる話を聞いて,あたふたしていた。

 結局震災後3日以内には何も起きなかった。また「地震が来るのか?」と感じてやまない2日間だった。

 朝刊に目を通す。新聞が今まで通り5時に音を立てて落ちる音を確認すると,安堵する。また,地域ではゴミの収集を開始することをラジオで伝えていた。慌ててゴミを出しに行ってきた。定時より遅れて収集車が来ていたが,ゴミを出すことができることも少しずつ復旧に向けて動いていることが分かる。

 すごいなぁ復旧に向けて,皆が色々な場で行動している。強い国だと思う。感心と感謝してやまない。(合掌)

続く…

<注>2日目として書いていたネタに,加筆・修正しました。


by hakusuke | 2011-03-21 19:57 | 自分のこと | Comments(0)
 以下は私自信が感じていることであり,市内に住んでいる方(旧町の方)たちがどのように捉えるかはわかりません。あくまで私見です。

 3日連休1日目=3月19日(土)
 昨日はわりと温かな日でした。朝・夕は冷えるため,私は湯たんぽ抱えたり,厚着で寒さ対策をして過ごしています。節灯油のためです。

 上空を見れば,ヘリコプターが沿岸に向かい飛んでいきます。洗濯した服は,外に干したら乾きました。ただし,地域で発信されているコミュニティラジオに耳を傾けていると,浄水場の処理設備は,全て回復しているとはいえないため,控えてほしいことを伝えられていました。2着だけ洗い干しました。地震後,ほぼ1週間同じフリースと運動着だったこともあり,1回目のすすぎ湯は汚かった。もちろん節水の情報も伝えられているため,風呂場で漬け置おきの手洗いです。

 私の住んでいる周辺は,大方ライフラインは復旧しました。同僚の話から,市内でもライフライン全て復旧していない方もいるので,一概に喜ぶことは控えます。

 市内は自転車で移動する方たちも随分目にします。ガソリンスタンドは,何台並んでいるのだろうと驚くばかりの長蛇の列です。携行缶をもってガソリンを求め歩いている方も随分見かけました。

 大型スーパーは,やはり店頭に必要最小限のものを並べ,列をつくり買い物です。時間も限られているようで,段ボールを持った店員は「今日は終わりました!」と道路でもうろうろしています。救援物資として希望しているおむつだったり,粉ミルク等を求める母親たちを見ると痛々しく感じてやみません。
 しかし,町の小さな店は,開店・閉店時間こそ違うものの,少しずつ店を開け棚に並んでいた商品を販売しはじめていました。また,飲食店も同様に開店しはじめたので,ガスや水が復旧していることに喜びを覚えました。

 近所は,建築業の方々が熱心に倒壊した壁の修理や解体など粉塵にまみれながら動いていました。凸凹していた道路,冠水していたも箇所も埋めてあり,少し凸凹していた道路が良くなりました。ただし全ての家屋が解体されているわけではなく,道路にはまだまだ多くの危険!通行不可!!といった黄色のロープは至る所で目にします。最寄りの自転車店では,若い方たちも出入りして値段を見ていたり,ヘルメット買いに来たりしていました。当然修理で休む間もなく,働いていた店員さん。自分で自転車を修理しようと思ったので,聞きにいったら,道具と直し方を丁寧に教えてくれました。ありがとう!

 家の前で,自転車にオイル差しをしていたところ,私の知っている方が,我が住まいの下に引っ越してくることが分かりました。家屋が危険札付いたためです。市内の家屋は,赤・黄・緑の紙が家屋壁面に貼られ,家屋の安全確認が震災後早急に行われていました。お隣さんは引っ越しをするようですが,「宅配業者がつかまらないことらしい・・・」と家屋を点検に来た不動産屋さんから教えられました。

 午後,巡視に出向きつつ,役場付近,避難所等ぐるりと回りました。出向く前に知っている方にも会い「大丈夫だったか?家族は(大丈夫か?)」等ちらりとお話もできました。また,生徒たちにも数名会い「先生,かっけー」と言われました。たぶん大きな部活指導中に使用している日よけ防止サングラスをかけて自転車で移動していたからだと思います。

 避難所で生活していた方も随分減っていることがわかりました。また,地震直後自家発電装置で動いていた信号機からは自家発電装置も取り除かれ,夜は街頭が灯るようになりました。

 避難所で生活している方も大変のこととお察しします。同時にライフライン復旧に向けて,約1週間で,改善に向けて動いてくれた方々にも本当に感謝しています。

 最後に,県内でもまだまだライフライン復旧のめどがたっていない地域,避難所生活を余儀なくされている方もいるので,「パソコンに向かっていていいのか?」と考え悩む自分もいます。日頃写真を撮る癖はあるのですが,撮影したら申し訳なく感じて全くもって地震後写真は撮っていません。撮ってはいけない気がします。
 正直,ブログに向かいエントリーすることも躊躇します。あえて,今後の地域住民の記録として少しずつ近況を報告していきたいと思います。


by hakusuke | 2011-03-20 16:11 | 自分のこと | Comments(7)

3,11から1週間

 1週間前。14時46分。

 卒業式を終え,簡単な片づけを談話室で皆で一息つきつつ,卒業アルバムを眺めていた。「?」「?揺れてない?揺れ大きくない。」「机の下入らないとまずい!!」で机の下にもぐりこんだ。
「うわわ・・・・・机支えられない!!」ごろごろ転がっていったカップ。揺れが緩やかになり,窓から校庭見れば,2本の木が倒れ校庭は亀裂が入り,水がポコポコ(液状化現象)。不安になった生徒たちが,ちらりほらり学校へ。

 職員室は,先日行った実力テストは散乱,パソコンは転げ,なんともいえぬ空間。地震おさまったと思いきや,何度も何度も余震は続いた。袴,紋付姿の3年生職員は間を見て着替えた。一部の職員が、生徒たちの安否を確認している間,校庭を見つつ,ラジオに耳を傾けた。外はボタボタ降る雪だった。

 帰宅。道路のいたるところに亀裂ありでこぼこ。路上は電気はなく真っ暗。なんか随分倒れている。(倒壊していた家屋,家屋に押しつぶされていた車だと知った)
 
 玄関あけた。我が住まい。うーん。笑うしかなかった(=v=;)

 色々とあり過ぎた怒涛の1週間でした。出勤可能な職員で、知恵と笑いと気合い?励まし合い過ごした1週間。早いなぁ、生徒たち登校していないのに。

 住まいのライフラインが少し復旧し,喜んではみた。しかし,県内,近隣県,地区には様々な立場の方たちがいることを忘れて,喜んだ自分を恥じた。

 さぁ,自分が今できることで立ちあがれ!カッコいいことしなくていいから,できることで行動だ!


by hakusuke | 2011-03-18 19:42 | 自分のこと | Comments(9)